続・父のひとりごと
自閉症児りょうまの父が語る、福祉関連中心のちょっとだけ真面目な「ひとりごと」
201709<<12345678910111213141516171819202122232425262728293031>>201711
スポンサーサイト
上記の広告は1ヶ月以上更新のないブログに表示されています。
新しい記事を書く事で広告が消せます。
【第543号】釜石市ボランティア報告
岩手県釜石市にボランティア活動に行ってきました。
今回は、個人的な参加であり、ボランティア活動報告など提出する場所もありません。
ただ、私の中では、どうしてもこの場を借りて、東日本大震災で被災された地域の一つである、
岩手県釜石市でのボランティア活動に関し、その現状や私自身がその中から感じたことを、
残す義務があると思い、今回こちらに掲載させていただきました。

報告と言っても私は文章が上手なわけではありません。
ただ今回は、たとえ文章が下手であろうと、皆さんに少しでも現地の状況を伝えたいのです。
そして、私がそこから感じたものもオブラートに包まずに、お伝えすべきだと感じました。
私が見たもの感じたものを、素直にいつもの“りょうまの父風”に書かせていただきます。
そのあたりを含めご容赦いただければと思います。

***************************************************************************************

【名称】東日本大震災被災地支援川崎市民ボランティアバス

【期間】2011年8月31日(22:00)~9月3日(5:00)
    うち現地活動は、9月1日、2日の2日間

【参加したボランティア団体】社会福祉法人 川崎市社会福祉協議会            

【活動場所】岩手県釜石市内

【レポート】

≪1日目≫

8月31日(水)、一会社員である私は、職場の定時退社時刻になると早々に帰宅した。
この日22:00から出発する、ボランティアバスに乗るために急いでいたのだ。
このバスは、社会福祉法人川崎市社会福祉協議会が主催の『東日本大震災被災地支援川崎市民ボランティアバス』というものだ。
3月11日の東日本大震災。
誰も想像ができないくらいの大きな被害が、特に東北地方をから関東の東側の海岸を襲った。
その直後から今まで、自分の中には、“とにかく被災地のために何かできることはないか”と、何かモヤモヤしたものが常にあった。
そんな中、インターネット検索の中から、地元川崎から岩手県釜石市へバスが出ることを7月に知る。
それが今回のバスだった。
そして私の個人的なことでもあるが、まずは釜石市へのボランティアがしたかったので、考える時間を要せず申し込んだのである。ちなみに、この申し込みに気付いたのが、〆切最終日数時間前。とにかく間に合って良かった・・・。
多数の応募の中から選考の上、このバスツアーの第3期(8/31~9/3)のメンバーに選出された。
大変ありがたいのと同時に、釜石との縁を感じずにはいられなかった。

ボランティアバス当日の前に、第1期から第3期までの約100人が集まり事前説明会が開催されたのが、8月初め。
その説明会を経て、今回のバスツアー当日に至る。

8月31日 22:00。川崎駅近くから社協の方々の見送りのもと、夜行バスは釜石に向け出発した。
1785.jpg

第3期は27名の市民ボランティアが参加。そこに社協の職員2名と、地域包括支援センターの方1名が、同行する形となった。つまり川崎から30名のボランティアが参加することとなる。
バスの中でマイクが回され、それぞれが自己紹介をした。
参加者は、学生、社会人、主婦、定年後の方等々、年齢層はバラバラ。そして、ほとんどが一人での参加だった。
まさに様々な年齢層、そしてほぼ男女同数の市民で構成されたボランティアであることを知る。
ただ、一つだけ参加者の共通点を見つけた。
それは、参加者全員が私と同じような“熱い想い”を持っていることを感じた。
大きな共通点である。

釜石到着は、翌日の7:30頃の予定。
夜行バスは室内の電気を消し、ボランティアは就寝。
深夜の東北自動車道を北上する。

≪2日目≫

途中でトイレ休憩をはさみながら、最後のPAで作業着に着替える。
5時台には夜明けとともに空が明るくなってきた。
窓の外は、台風12号の影響による小雨の中、田園風景が広がる。
高速の料金所出口には「がんばろう岩手」の表示がされていた。
インターチェンジを降りて、道端に釜石まで○○km、大船渡まで○○km、大槌まで○○km、という震災後に設置されたと思われる看板を道路脇に見つける。
これらの表示に「岩手に着いたんだ・・・」という気持ちになり、眠気がすっかり飛んだ。
道の脇に立つ建物などをバスの中から見ていたが、まだこのあたりでは被災の状況は確認できなかった。
釜石のボランティアセンターに入る前の最後の休憩。
6:20道の駅「遠野風の丘」に到着。

1788.jpg  1786.jpg
1787.jpg
遠野市の中学生が作ったメッセージ「生きる希望をありがとう」。胸に響く。
バスは釜石に向かった。
釜石についての資料に目を通す。
人口4万人弱の釜石市。8月30日現在、震災による死者883人、行方不明者299人。
釜石だけでも、まだ、299人もの方々が行方不明になっているのだ。

バスが現地に到着。近くのコンビニで昼食を買う。自分は朝食も購入しバスの中で食べた。
まだボランティアセンターが開くまで、1時間近くある。
バスの中で待機する。小雨が止む。
ちなみに川崎市社会福祉協議会が用意したボランティア用のビブスはオレンジ色で、作業中は皆で着用することとなる。

突然、バスの副リーダーより私の名前が呼びだされる。
私に会いに来た人がいるとのこと。
えっ?もしかして!
と、外に出ると、女性が立っていた。
「もしかして、Eさんですか?」と、私。
そう、その方はHP「そよ風の手紙」にお訪ねいただき、長年我々そよ風親子を応援し続けてくれている方だった。
釜石の状況から、震災後の安否確認でさえ怖く、連絡をこちらからできなかった。
1ヶ月後、無事であるとのメールを頂いた時には、涙が止まらなかった。
そして今回、ようやくお会いすることができたのだ。自然と握手をしていた。
私は、無事をあらためて喜び、Eさんは釜石にボランティアに来た私に感謝してくれた。
初めてお会いしたにも関わらず、全く初対面とは思えないくらい会話が弾んだ。
そして1冊の本を頂いた。

1789.jpg

釜石の記録 という、写真集。
震災直後の釜石の写真である。この写真集は後々、私の心に大きく残るものとなるのだ。
ボランティア活動の集合時間が来たので、Eさんと別れた。

釜石市災害ボランティアセンターにて8:30から、ボランティアの受付並びに説明を頂く。
このボランティアセンター、8月31日までは、社会福祉協議会の関東ブロックにより運営されていたそうだが、9月1日から、地元の釜石市社会福祉協議会によるものと変更になる。
つまり、我々はその初日の参加者となった。

1790.jpg

説明受付等が終わり、バスはこの日のニーズのあるボランティアの地へ向かう。
最初は、津波で被災した小学校のグランドにあるがれきの撤去作業。との話だったが、
急きょその近くのお寺(盛岩寺)付近のがれき撤去に変更となる。
そして、その現場に行き愕然とした。

1791.jpg

1792.jpg

防波堤が壊れ、そのままその集落が流され無くなっていた。

P1040188(1).jpg
そしてこれが我々の活動。

がれき撤去と言うが、生活感あふれるものが次から次へ出てくる。
これがゴミでは無い、と感じた。3月11日までは生活の一部だったのだ。

午前の仕事が終わり、先ほどコンビニで買った昼食のおにぎりを食べる。
すると、大粒の雨が降り出した。今度は本格的な降りとなる。

午後になり、お寺の住職さんが、お寺内のプレハブで震災時のお話しをしてくださった。
先ほどの堤防は12mだそうだ。その堤防を壊し津波は集落に入り込んだ。
さらに、津波は20mの丘の上にあるお寺まで達したという。
おそらく明治・昭和の2回の津波でも来たことのない25m近い津波が寄せてきたことになる。
それだけに周りも油断していたと、話されていた。

お寺にいた人も流され、引き波で持って行かれそうになった時、手すりにつかまり流されずに済んだ方が、2名おられ、門や鐘付きの建物も流されたとのこと。
震災の体験談は、被災された当事者にとって思い出したくないことだと思う。
そんな体験談をお話し頂いた住職さんに、感謝の気持ちでいっぱいだった。

午後本降り。雨は止む気配なし。
午後からは外の作業ではなく、お寺の中に入った瓦礫やホコリの撤去や、津波で汚れた書籍をきれいに拭く作業などであった。さすがに30人いると、マンパワーで仕事の速さを感じる。
ボランティア力仕事ばかりじゃないと感じた。
1793.jpg

1794.jpg

3時になり、ボランティアセンターへ戻ることとなる。
予定より早くセンターへ着いたため、1時間ほど自由時間ができた。
自分はこの時間の利用して、釜石のメイン通りを歩いてきた。
そして愕然とする。
1795.jpg

1796.jpg
1797.jpg

震災から半年。復興には程遠い現実。
メイン通りに営業中の店舗を見つけることが困難であった。

1時間が経ち、ボランティアセンターに戻る。
釜石市社協の長の方から、体験談を中心とした震災に関わるお話しを頂く。
先ほどの住職さん同様、目の前で起きた悲惨な出来事や体験談をお話しいただけたことに、感謝の気持ちでいっぱいになる。
釜石では、震災当日学校に通学していた生徒は皆無事だったとのこと。
誰もが生と死が紙一重だったことを、身をもって体験されていた。
その体験されたお話しを、直接お聞きすることができたこと。
先ほど休憩時間にメイン通りを見て来たその場所と、お話しの中の震災当日の様子が重なった。

バス出発前、今朝Eさんから頂いた、「釜石の記録」 の写真集を開いた。
そこには、震災直後の道路も通行できないくらいの、状況写真があった。
先ほど歩いたメイン通り、現在以上、信じられないくらいの地獄のような写真が載っている。
ガレキ撤去活動をした地域の写真も同じだった。
半年前の状況は直接は見ていないが、現場と写真から言葉が出なくなる。

1日目のボランティア活動が終わり、宮古市の宿泊施設に向かう途中、
車窓から見えた風景はさらに愕然とするものだった。
建物の土台だけはるか向こうまで続く集落。この集落は全て、津波にのみ込まれたのだろう。

1798.jpg
この住宅は3階まで津波が押し寄せたのだろうか。
1801.jpg
建物は、震災後そのままである。
1799.jpg
1800.jpg
船が岸壁に乗り上げたままの状態。
P1040217(1).jpg

釜石、大槌、山田、宮古。
宿泊施設に向かうバスの中から見えた状況は、震災後半年経ったと思えないような状況だった。
今まで、テレビの中の映像を通して、ほんの一部の世界を見てきた。
でもそれは、どこかバーチャルな世界と思っていなかったか。
今目の前に見える、これが現実なのだ。
自分にできることは微力だと思う。
この先これら地域の復興はどのようになされるのだろう。
何年かかるのだろう。
国はしっかりとこの現実を見て、適切に動いているのか、疑問に思う。
これは、地域だけでは無理だ。

宿泊施設に到着。
我々以外は警察官の皆さんが宿泊されており、被災地の支援拠点になっているようである。
職務とはいえ、警察官の皆さんには、頭の下がる思いだ。


≪3日目≫

台風の影響でこの日は雨の1日になりそうである。
釜石市災害ボランティアセンター台風のことも考え、一般のボランティアの受付を中止したようである。
我々(川崎市社会福祉協議会)は通常通り、団体として室内のボランティア要請を受けた。
1806.jpg

この日は2班に分かれ作業を行う。
1班は、被災者への靴の配布があるということで、その対応の仕事。
1班は、全国から釜石に届けられた支援物資の仕分け作業。これは、仮設住宅の皆さんへ毎週日曜日に配布する「青空市」のための事前準備だ。

雨であっても、ボランティアのやることは多種多様であると感じた。
私は、午前中は仕分け作業、午後は靴配布の対応であった。

午前中、昨日もいらしていただいたEさんが娘さんとお孫さんと一緒にわざわざ雨の中、私を訪ねて来られた。
本当に心から嬉しかった。
昨日は、ほとんどお話しができなかったので、今回もそんなに時間は無かったがお話しすることができた。
震災時のお話し、愛犬のこと、お孫さんが生まれて3ヶ月で震災に遭ったため食事の確保が大変だったこと、
等々、お話ししたいことはもっともっと沢山あったが、団体行動のため、休憩時間のわずかな時間しかなかった。
でも、そのお心、お気持ちが、何よりもありがたい。
「そよ風の手紙」からつながった、この人と人、心と心の繋がりを、これからも大切にして行きたい。
1802.jpg
本当に、心から感謝です。

午前の最後に、再び釜石市社協の長の方から、津波のビデオを見せて頂く。
ホームビデオで高台から撮った、リアルなものであった。
津波の第一波、第二波、第三波・・・・、あっという間に予想を超える黒い津波が押し寄せてくる。
津波は堤防を壊し、家、車、船など、ありとあらゆるものが流されてゆく。
引き波が、根こそぎ家を大地から引き離し、押し流して行く。
「私の家が流されてゆく」長の方が画面を指差しながらお話される。
言葉が出ない。
家はただの物で無く、想い出・生活そのもの。
明るくお話されているが、どんなに辛いお気持ちなんだろう。
想像力の範囲でしかないが、胸が痛くなるくらい辛さは分かる気がした。


昼休みに、この日かわさきFMで放送される番組のことで、
シンガーソングライターで番組のDJでもある堀川ひとみさんから連絡を頂く。
HP上で、今日のボランティア活動が中止になったとの情報を知り、急きょ番組の内容変更するかもしれないので連絡が欲しいとの留守電であった。
ひとみさんの番組で私はコーナーを頂いているが、実はこの日の放送では、こんな会のボランティア活動のことに触れており、既に録音し音源を渡していたのだ。
すぐに、ひとみさんに連絡し、通常通り活動をしていることを伝えた。
ちなみに、次回10月7日の放送では、今回のボランティア活動を報告する予定だ。

午後からは、靴配布の対応班へ。

1804.jpg
1805.jpg
並んでいる皆さんの表情は笑顔であるのが印象的だった。
このような楽しみも必要であると感じる。
楽しい気持ちになること、これも支援なのかなと感じた。
「川崎の方に靴を選んでもらって嬉しかった。」という、ちょっと照れてしまうようなお言葉も頂いたようだ。
午後4時。2日目の活動が終わる。

1803.jpg

夕方作業着のままバスに乗り込み、釜石をあとにする。
花巻IC近くで風呂に入り、皆で食事をとり、各々が感想を述べる。
どの方もボランティアに参加されたことを、良かったと思われていた。

もちろん私自身も、そうである。
本当にこのような機会を頂けたことに感謝したい。


≪4日目≫

夜行バスは、午前5時に川崎駅近くに着く。
6時の始発バスをマクドナルドの中でコーヒーを飲みながら待つ。
私はこのあとから、息子との時間が待っている。
身体に疲れはたまっているが、心はなぜか充実している気がした。

ボランティアバスは、終了した。


【感想・総括】

ボランティアは必要である。まだまだ不足している。
特に大都市圏から遠いければ遠いほど、ボランティアの不足は起きているようだ。
少なくとも、今回の被災地の釜石では必要だと感じた。

今回のボランティアバスに参加されてた方々。
皆、個々に1名で参加されている方がほとんどであった。
話を聞いてみると、どの人も、「何か被災された方々のために、自分にできることはないか」という気持ちから申し込まれた方がほとんどであった。
学生・会社員・主婦・定年後の方、等々、様々な立場で参加されていた。
日本中には実は“このような気持ちを潜在的に持っている人たちが多いのではないか”と感じた。

一方、個人ボランティアには限界も感じる。
冷静に考えても、個人では効率が悪い。
そういう点で、今回の様なボランティアバスの意義は大きい。

ボランティアを行い「2日間でできたものは、たったこれだけのものなのか・・・」というのが正直な気持ちだ。
まだまだ、手のつけられていない広大な被災地の空間を見ると、愕然としてしまう。
一体復興までどれくらいの時間がかかるのだろう。
これは東北地方だけの問題ではない、日本の問題であると感じた。
国による施策が絶対的に必要であろう。
現状を見て、ボランティアの自主的な活動だけでは限界があるからだ。

このままでは復興まで何年も、もしかしたら10年以上かかる可能性だって十分ある。
とにかく、津波の被害は、地震だけによるものと違い、マンパワーと時間を要す。

自衛隊・警察・消防など、のメインで動く期間は終わり、今はボランティアの出番だ。
ボランティアでないとできない活動は、たくさんあると感じた。
また、ボランティアの力が実は一番長期的に必要だと感じた。

国は、夏の電力使用削減15%という施策を企業に打ち出したわけであるが、
同時に被災地へのボランティア支援への施策はどうなっているのだろうか。
私が知らないだけなのか、見えてこない。
企業で積極的にCSR活動で被災地支援をされていることは素晴らしい。
ただ、国は企業や個人に甘えてばかりで良いのだろうか。


今回気付いたこと。
ボランティアと言うと力仕事ばかり想像してしまうが、決してそうではなく、
様々なボランティアの作業が存在し、必要であることをあらためて知った。

先にも書いたが、僕らは一体どれくらいの力になれたのだろうか。
本当に微力だと感じた。
でも必要なのは、この微力の積み重ねで、この積み重ねが先に進むための大きな力になると思う。
通り一遍ではなく、長期的な微力の積み重ねが必要と感じた。

地元の社協の方から、「復興に2年という話があるが、2年では難しい。少なくとも5年くらいはかかる。これからも皆さんの支援をお願いしたい。」というお話を頂いた。

今回、この現実と向き合いながら、今後力になれることを考えてゆきたい。


私の役割は、このように、皆さんに現実を伝える広報的役割ではないかとも感じている。

それが、今後の私のできる被災地へのボランティア活動かもしれない。

コメント
この記事へのコメント
大変だったね
お疲れ様。
お帰りなさい。
13日に話聞かせてね。
2011/09/06(火) 06:17:50 | URL | あかね #-[ 編集]
4日間お疲れ様でした
間違って拍手の方にコメントを書いちゃいました。すいません
バスで寝るって結構疲れますよね~~~
疲れ出ませんでしたか?
ボランティアサイトです
今後の参考にしてみて下さい
http://tasukeaijapan.jp/?page_id=3813
2011/09/06(火) 10:15:18 | URL | 雅 #-[ 編集]
お疲れ様でした
「現実を伝える」というのも大変ですが
重要な事ですね。ありがとうございました。

「釜石の記録」1冊とクリアファイル2冊
を注文しました、じっくり見てみます。
2011/09/06(火) 11:36:08 | URL | SC所沢 村上 #wgmg.h4A[ 編集]
お疲れさまでした。
ひたすらお疲れさまでした。m(__)m
体力に自信ないからなあ。>自分
2011/09/07(水) 17:01:20 | URL | レインボーおやじ #HfMzn2gY[ 編集]
有難うございます
御苦労様です。皆さんの力が被災地の生きる力になります。まだまだ復興には時間も力も必要です。引き続き皆様のお力をお貸下さい。 
2011/09/08(木) 10:14:20 | URL | エルルのか~さん #-[ 編集]
皆さん、コメントありがとうございます
皆さま

コメントありがとうございます。
微力ですが、この現状をレポートでUPすることで、何かが伝わればいいなぁと思っています。
2011/09/10(土) 05:07:04 | URL | りょうまの父 #-[ 編集]
コメントを投稿する
管理者にだけ表示を許可する
トラックバック
この記事のトラックバックURL
この記事へのトラックバック
copyright © 2004 Powered By FC2 allrights reserved
上記広告は1ヶ月以上更新のないブログに表示されています。新しい記事を書くことで広告を消せます。